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大阪家庭裁判所 昭和37年(家)3816号 審判 1962年8月31日

申立人 長井公三郎(仮名)

相手方 長井均(仮名)

主文

相手方が申立人の推定相続人であることを廃除する。

理由

(調停申立の要旨)

一、相手方は、申立人の四男で、遺留分を有する推定相続人である。

二、相手方は、昭和二十九年関西大学二年生に在学中、更頃から欠校して、パチンコ、マージャンなどの遊戯にふけり、親兄弟の衣類等を持出して入質したり、申立人の財布から金銭を抜き取るなどの行為をしばしば繰返し、翌昭和三十年になつて、ナイトクラグ、アルサロの某女性と関係し、申立人ら両親の意見に従わず、遂に同棲し、学業を抛棄して就職したが、転々と職を更え、同女とは不和となり離別し、この間もその後も生活困難のため、しばしば申立人らに金銭の強要を繰返した。

三、相手方は、昭和三十五年四月に、申立人らの説諭に服従し、申立人の任地兵庫県下江原に復帰したが、数日後に、申立人の財布から金銭を抜きとり、また大阪市へ出奔し、就職したが、この度も転々として職を更え、依然パチンコ等で浪費し、自己の所持品を売払い、同年八月二日には、申立人らの留守中にやつて来て、申立人らの衣類、その他価額にして約一五〇、〇〇〇円のものを持出して、入質し、その後も、申立人らを度々脅迫して金銭を強要するので、一度は所轄警察署の警官の説諭を求め改心を誓約させたこともあつたが、乱行は改たまらなかつた。

四、昭和三十七年四月になつて、このとき相手方が約一年間在職した光電舎から退社させられた機会に、申立人宅に相手方を連れ帰つたが、江原における就職を肯んじないので、上阪して母親と同居して就職口を探すことに合意し、その頃、申立人の妻は、相手方を伴い上阪して、吹田市清和園にアパートの一室を借受け、これに同居して就職口を探そうとしたが、相手方には、従前の非行を改める風は見えず、同年五月二十七日朝、申立人が吹田市千里山の長男繁一の宅に滞在しているところへやつて来て、出刄庖丁を示し、金銭を強要した。

五、このような次第で、相手方は、申立人に対し重大な侮辱を加え、申立人一家の家庭生活を破壊しつつあるので、ここに相手方に対し、申立人の推定相続人の地位の廃除につき同意を求めるべく、本申立に及ぶ。

(調停の結果)

相手方は、本件昭和三七年(家イ)第九八五号調停事件の第一回期日(昭和三十七年六月六日)に出頭し、後記(判断)一、(ト)のごとく、申立人に対し、就職当座の生活費三〇、〇〇〇円の金員を要求し、申立人は、数日後この金員を相手方に交付したもののところ、その後、相手方に後記(判断)一、(ト)以下認定のごとき非行があり、次いで二回行われた調停期日に相手方は出頭しないので、調停委員会は、調停成立の見込のないものとみなして、第三回期日において調停不成立を宣し、この調停は審判手続に移行した。

(判断)

一、調査官稲留秀穂の調査の結果に、長井まつに対する審問の結果を総合して考え合わすと

(イ)  申立人は、医師で医学博士の称号を有し、現に株式会社神戸○○所○○工場の診療所長の職に在り、妻まつとの間に四男一女の子女があり、相手方はその四男であるが、長、二、三男ともそれぞれ相当の職に就き、妻帯して別居し、長女は他家に嫁いでいる。

(ロ)  相手方は、昭和十七年四月に、尼ケ崎塚口小学校に入学、同校から塚口中学校に進学、昭和二十六年三月に同校を卒業し、同年四月に関西大学附属第一高等学校に入学、昭和二十九年四月同校を卒業し、同月四月に同大学商経学部に入学、昭和三十三年十日に同大学学部を中途退学したものであるが、もともと、平和な家庭で他の兄姉とともに何不自由なく幸福に成育し、高等学校時代の学業成績は、優れていたとは言えないが、中の上位の程度であつて、生得的にも、環境的にも、当時相手方の将来に暗い影を投げかけるものは何もなかつた。

(ハ)  しかるに、相手方が大学一年生の夏の休暇にアルバイトのため某百貨店に臨時に採用されて金もうけをし、そのとき、パチンコや麻雀の遊びの味を覚え、それから段々と金遣いが荒くなり、申立人が月々渡す三、〇〇〇円程度の小遣銭ではまかないきれなくなり、申立人の目をかすめて、その財布から金銭を抜き取つたりするようになり、小遣銭を増してやつても足らず、大学二年生の秋頃には、申立人の冬オーバー、軸物などを入質し、かけ事に熱中し、あるいはバーなどに出入し、一方学業をおろそかにして、欠校を重ねて単位がとれず、一年落第したが、四年生の二学期になつて、ついに中途退学することとなつた。

(ニ)  ところで、相手方は、昭和三十二年六月頃から、ナイト・クラグ、アルサロの給仕婦稲葉某と懇意になり、それが上記の浪費の一原因となつていたが、大学中退の後、相手方は、申立人らに対し、同女との結婚の承諾を強要したので、申立人らは、熟考の上、相手方がこの機会に改心して正業に就くことを期待し、昭和三十四年春頃に、結婚を許し、世帯道具を買い与えて、大阪市内にアパートを借り与えて同棲させたが、相手方の素行は依然としておさまらず、就職しても永続きがせず、自活できないので、始終申立人に無心を重ね、それでも借金が増える始末で、稲葉某との仲も円満を欠き、昭和三十五年二月頃に両名は離別することとなつたが、このときも、申立人は、同人に対する手切金として三〇、〇〇〇円を負担し、価額八〇、〇〇〇円の世帯道具を譲渡してやり、相手方の借金数万円の尻拭いをして、相手方を肩書申立人方に連れ戻した。

(ホ)  そうして、申立人は、相手方を○○町において就職させようとしたが、相手方は約一週間後には、申立人の財布から二〇、〇〇〇円を抜き取つて上阪し、職を求め、一時就職したが、従前どおり永続せず、所持金がなくなると、申立人方に舞いもどり、無心をし、申立人が快く応じないときは、乱暴をしたりすることを繰返していたが、約一年後昭和三十六年四月頃に大阪市西区某町の光電舎(電線販売会社)に就職し、この回は約一年間勤続し、昭和三十七年二月頃に退職したもののところ、この間も、申立人は、毎月アパート代を含む生活費として毎月定期に一五、〇〇〇円程度を送金してやつていたが、それでも、相手方は、臨時にしばしば舞心を繰返した。

(ヘ)  相手方は、光電舎を退職して一月僅りの間、申立人方に帰つて同居していたが、この度も上阪して就職すると言うので、申立人は、妻まつを相手方と同居させて監督させることとして、○○市にアパートを借受け、まつは相手方を伴い上阪してこのアパートに住込んだが、相手方は、就職口を探す意図なく、早速遊び廻り、一週間の間に、まつを脅して金銭を強要し、まつの衣類を質入れしたりして、結局まつを追い帰してしまつたので、申立人も意を決して、本件の調停の申立をすることとなつた。

(ト)  相手方は、昭和三十七年六月六日の本件調停第一回期日において、就職口が定まつたので、当座の生活費として三〇、〇〇〇円を渡して欲しいと申入れ、恭順の意を表わしたので、申立人は、数日後この金員を相手方に手交したところ、相手方は、この就職口を数日で辞め、同月二十五日、申立人方に立戻り、自動車免許証をとるための費用一七、〇〇〇円を含め、四〇、〇〇〇円の金員を要求して暴れ廻るので、申立人は、止むなく、さきに借りた○○のアパートの権利金を受戻して渡すことを約束し、数日後この権利金三六、〇〇〇円を受戻して、相手方に手交したが、相手方は、その後間もなく同年七月二日に、またも申立人方に立戻り、さきの金員のうち三〇、〇〇〇円を出資して友人と共同で仕事を始めたが、失敗して一文なしとなり、債権者から告訴されているから五〇、〇〇〇円呉れと要求したが、申立人が断つたところ、出刄庖丁を持つて暴れ回り、申立人がそれでも要求に応じないと知ると、電気洗濯機、電気掃除機、施風機、カメラ、洋服などを手当り次第に荷造りして選び出し、大阪へ向けて発送し、大阪市梅田の高田質店に入質して、金策をした。

(チ)  その後間もなく七月八日に、相手方は、またも申立人方に現われ、某女との間で結婚することの約束ができて、徳島市において同棲するから一〇〇、〇〇〇円呉れと要求し、乱暴するので、申立人は、相手方が今後一切の迷惑をかけない旨の誓約をすることを条件として八〇、〇〇〇円を渡すことを約束し、同月十九日に大阪駅において、長男の嫁の手を通じて八〇、〇〇〇円を相手方に手交したもののところ、相手方は同月三十日に、またも申立人方に現われて、某女と徳島市に赴き、そこで同棲するためアパートを借受けたが、女のひもが現われたので逃げ帰つたが、そのため五〇、〇〇〇万円を費い、残り三〇、〇〇〇円でアパートを借りたが、賃料が足りないから六、〇〇〇円貸して呉れと哀願し、就職のための面接が翌日あり、今度こそ真面目に勤続すると、しおらしく申入れたので、申立人は、要求のままに六、〇〇〇円を相手方に手渡ししたが、果して就職したものかどうか判明しない。

などの事実を認めることができる。

二  以上が本件調査終了時までの相手方の行動の大略であるが、相手方が、この認定事実のごとく、社会の落伍者の地位に転落した真の原因は、本件に現われたところの資料では、十分これを確定しがたいけれども、相手方が最もたちの悪い「親泣かせ」の部類に属するものであることを容易に認めることができ、相手方の所為は、相続人廃除の原因に相当とするところの著るしい非行であると解するを相当とする。

三、そこで、本申立を認容して、主文のとおり審判する。

(家事審判官 水地巖)

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